僕の女子転生日記

そこそこの美人で中身バリバリ男子な僕の世渡り日記

今年読んだ本ベスト3

面白い本をお探しですか?今年感動した本のベスト3です。

1『堕落論坂口安吾

短いのにとにかく深く感動しました。若い時に読んで分かった気にならなくて良かった本。坂口安吾という人はとても純粋で、敗戦(終戦ではなく敗戦)を全身全霊で受け止めて言葉にした人だと感じました。

2『右か、左か』沢木耕太郎

沢木耕太郎さんが選んだ日本文学の短編のアンソロジーです。選者のお目が高く、自分では手に取らないような数々の宝物に出会えました。収束されている中で一番好きだったのは吉行淳之介の「寝台の舟」。妖艶にやるせなく、メルヘンなお話。

3『イラク水滸伝高野秀行

著者が中東奥深い湿地地帯を昔ながらのお手製の舟で旅しようという野望を追求する過程で会う様々な人の物語。面白おかしく、かつ読み応えのあるノンフィクション。

皆様もおすすめの本があれば、ぜひ教えてください。

人生は沖でサーフィン

サーフィンを始めました。教え上手な先生に恵まれて、1週間で膝丈の波に乗れるようになりました。昨日は沖の波が高かったので、岸辺の小さめの波で遊びました。

しかし、真のサーファーはやはり沖に出るもの。岸辺の波で遊ぶのは安直に楽しいのですが、やはり沖に出たいという気持ちが強まってきます。サーフィンって欲深いスポーツかもしれない。

そこでいくつかのサーフィンブログをチェック。すると、沖に出てもしばらくは波に乗れないけれど、そこで乗りたい気持ちをグッと堪えて波を見ていることで上達すると書かれている方が多かったです。あるブログによると、沖でぷかぷか期間は3ヶ月が目安だとか。普段はスイス住まいで日本に一時帰国するときしか海には行かないので、焦ってしまいそうだと思いました。

スイスに帰国する日も朝4時半に起きてサーフィン。空港までの電車でヘロヘロの頭でふっと人生では沖に出ているかな、と思いました。(日本=岸辺、スイス=沖、という意味で。)そして確かにスイスに移住した時もぷかぷかと浮いていることしかできない時間が9ヶ月くらいあったと思い出しました。それを考えると、サーフィンでも波を見ているだけの時間が必要なことは当然に思えてきます。

そしてスイスでの最初の9ヶ月はとてももどかしかった。気短で自分に対する過度の期待もあったので、無駄に焦って過ごした記憶があります。その反省の上に立って、サーフィンで沖で波を見る3ヶ月を悠然と楽しめるかどうかというところに自分の成長の試金石があるのかもしれないと思いました。

#サーフィン #海外生活

日本文化の特徴:ギャップを楽しむ

最近の発見として、ギャップを楽しむのって日本文化の特徴かな、と思っています。

具体例としては…

  • 温泉で熱い風呂と水風呂に交互に入るのを楽しむ。
  • パフェ好きの友達に、日本のパフェの極意は対照的な食感のある具材のシンフォニーを楽しむことだと説明された。
  • 髪の毛をクラゲカットにした時に、スタイリストさんに髪の長いところを短いところの差を楽しむのが、このヘアスタイルの趣旨だと教えてもらった。

このギャップを楽しむという発想は、海外では日本やアジアほど顕著に見られないと思います。かなり雑な一般化になることは承知していますが、西洋の文化は同一化する力が強いように思います。それは一神教が自らの神を「正しい」ものとして、異教徒を教化しようとする動きに近いような気がします。自然にしても克服し、なるべく均一なものにしようとする側面があるのではないでしょか。たとえばアメリカの田畑などは一区画がとても大きくのぺっとしていますよね。

それに対して日本の文化は多神教的です。様々な神様とのご縁を楽しむように、いろいろなものをひっくるめてそのまま取り入れてしまって、重曹的な世界構造を楽しもうという考え方が根幹にあるのかもしれません。ギャップは差異がないと生じないので、対極的なものが共存していることが、ギャップを楽しむ前提となります。

そして、このような多様性があるのは日本文化だけではないかもしれません。以前インドに旅行したことがあるのですが、インドはヒンズー教の地域とキリスト教の地域で雰囲気や人の服装が全然違ってびっくりしました。第一印象としては何もかも包摂してしまう生命力の強い国というイメージでした。宗教上の違いだと争いにつながることもあるし、インド人がギャップを楽しんでいるか論じられるほどにインドには詳しくはありません。もしかして何事も現前するがままに、ただ受け容れているというあたりがインドらしさなのかもしれません。

ひらがなとカタカナのギャップ。本音と立前のギャップ。身の回りに普段意識していないギャップはたくさんあります。そういった一つ一つを、もう少しずつ味わってみたら生活が豊かになるかもしれないと思いました。

 

#日本文化 #多神教 #ギャップ萌え

ネフスキーの「月と不死」

日々満ち欠けてゆく月と不死は意外な組み合わせだと思い、興味をもってネフスキーの本を手にとりました。坂本龍一さんのご著書に紹介されていたことがきっかけです。ネフスキーはロシア出身で日本に留学し、柳田國男金田一京助と交流があった民俗・言語学者です。端正な日本語で書かれた短い「月と不死」という論文は、小さな宝石のような煌めきを感じました。

しかし、それよりもめっぽう面白かったのは解説としてまとめられれているネフスキーの伝記。同じコメントを読書メーターに投稿されている方がいらっしゃいましたが、全く同感です。この時代にこんな方が日本で暮らしていたということを知り、また伝記で紹介されるネフスキーの知的で温かく、ユーモアのある生き様に心を動かされました。

簡単に紹介すると、ニコライ・ネフスキーは1892年にロシアに生まれ、1913年に日本に留学しました。日本人女性と結婚し、1929年にロシアに帰国したものの、シベリアに送還され、若くして亡くなりました。主な業績はアイヌ宮古島方言や西夏語の研究のようです。

解説ではネフスキー柳田國男金田一京助の親交があった様子や、革命後にロシアからネフスキーに届いた手紙が紹介されており、彼が友人や同僚に心から敬愛されていた様子が伝わってきました。ロシアの恩師から出された手紙に「乞食をしてでも、日本にいた方がよい」と書かれていたことも印象的でした。

そしてどこの出版社がこの本を出したのかと思ってみると、東洋文庫。決して万人向けではないこの貴重な本を出してくれたことに感謝。実は今やっている展示が面白そうで行ってみようと思っていたところなので、ご縁があるタイミングのようにも感じています。

ガザ・モノローグで体験を共有する

今日は天王洲アイルで開催されたMYAFというアートイベントに行ってきました。絵画、音楽、インスタレーション等の多様な作品が一堂に会していて、とても楽しかったです。パフォーマンス・アートで心に残るものが多かったです。

そんな中でご紹介したいのがガザ・モノローグ。会場には古びたダイアル式の公衆電話が置いてあり、171番に架電するように指示があります。その後、さらに1を押すと録音を求められます。録音をする内容はガザ地区の住人が書いたモノローグ。封筒に入ったスクリプトが置いてあります。目の前にいない聞き手に向けて、戦場で書かれたスクリプトを読むのは、緊張をする不思議な体験でした。一人で音読するのとは絶対違うと思いました。

その他に、他の来場者が録音したスクリプトを聞くというオプションもあります。こちらも非常に心に響く体験でした。背景に会場の雑音が入っているのもリアル感やその時一回限りだという感覚があり、貴重な体験ができました。また電話ブース内に貼ってある、多数の来場者の読後の感想が見られるのも良かったです。

ちなみにガザ・モノローグの情報はこちらで見られます。ガザ・モノローグ 日本語訳

戦争や政治については新聞で読む機会もありますが、結局は個人の体験の集積だと思います。政治的な大局を見るのも大切ですが、そこにいる個人が見えにくくなってしまうのも事実です。そういった個人の体験を掬い取れるのが芸術の素晴らしいところだし、だからこそ飽きないなぁと思いました。

ハニワと土偶と交換様式D

東京都国立美術館の「ハニワと土偶の近代」展に行ってきました。面白かったです。改めて土偶も埴輪も魅力があると思いました。知らなかったのは、第二次世界大戦中にプロパガンダとして埴輪のイメージが使用されていたということ。新しい知識を得るのって楽しいですよね。勉強になりました。

一番好きだった作品は都路華香の「埴輪」という作品。工房でおじいさんが埴輪を作っている情景なのですが、登場する何体もの埴輪がまるで生きていてお友達になれそうな感じに描かれていて、御伽噺の世界に誘い込まれるようでした。

会場を歩き回っている間に頭をよぎったのが柄谷行人の「力と交換様式」で紹介されている交換様式Dという考え方。ざっくりと説明すると、この本はマルクスの「資本論」および一般的な社会や宗教構造を生産様式ではなく交換様式から捉えるものです。交換様式には以下の四つがあります。

  • 交換様式A:互酬
  • 交換様式B:服従と保護
  • 交換様式C:商品交換
  • 交換様式D:Aの高次元での回復

すごく平たく言うと、Aで始まったコミュニティーが王政や資本主義の発達でB・C主導の社会に移行し、社会に満足できない人は意識的もしくは無意識的にDの到来を待ち望んでいるという感じの議論です。たとえば世界宗教はDとしてはじまったと位置付けられています。(絶対にざっくりすぎる。柄谷先生ごめんなさい。)平易ではありませんが、名著なのでぜひ読んでください。

土偶と埴輪に話を戻すと、土偶とか埴輪ブームとかって僕たちが無意識に交換様式Dの到来を期待するからなのかと思いました。その視点から見てみると、埴輪の中が空っぽであることも面白いと思います。中に何が入っているか、いかようにも想像できます。DはAの高次元での回復なので、トロイの木馬のように中に何か違うものが入った状態で土偶や埴輪が回帰しないとだめなのだと思います。

今後、土偶くんや埴輪ちゃんが美術界でどのような活躍を見せてくれるのか、そして僕たちの世界がどうなっていくのかが楽しみになるような展示でした。お時間があればぜひ行ってみてください。

 

ミロコマチコさんの神話的な世界

東京都美術館で「大地に耳をすます」という展覧会を見てきました。ミロコマチコさんの作品が素晴らしかった。はっきりとした独自の世界観があって、その中で洞窟画が現代に蘇ったような神秘的でバイタリティのある作品に元気をもらいました。

作家を国籍に還元するのは良くないと思いつつも、やはり日本の良さがよく出た作品だとも感じました。「日本美術の歴史」で辻先生が日本美術の特徴の一つとしてアニミズムをあげていらっしゃいましたが、動物や自然にも魂や神様が宿っているような世界観が根底に流れていると感じました。

アニミズムの対極にあるのが、西洋の自然を超克する対象として捉える考え方だと思います。いのちあるものすべての基盤となる地球環境自体が危機に晒されている今、東洋的な世界との関わり方に多くの人が関心をもっているのではないでしょうか。そしてアニミズム的な人と自然のあり方は言葉で説明するよりも、絵画などの芸術作品を通じて伝える方がよほど心に響くと思います。

英語では「ペンは剣よりも強し」という慣用句もありますが、アートの力は美しいというだけでなく、人と人とを繋ぐ点において何ものにも代え難く素晴らしいと思います。

大学では芸術批評を専攻し、スイスに移住した際に「実用的」な学位がないために就職に苦労したこともあったのですが、振り返ってみるとアートに身を浸した大学時代は本当に贅沢だったと思います。高校までは受験勉強を中心にかなりあくせくと生きていたのですが、大学でのあの数年間が、その後の人生の全てを豊かにしてくれたように感じています。

アート万歳。人生万歳。そして何よりもアーティストのみなさま、ありがとうございます。