僕の女子転生日記

そこそこの美人で中身バリバリ男子な僕の世渡り日記

ある朝、目が覚めたら「僕」だった件

突然ビビッと閃きが訪れることってありませんか?

そんな感じである金曜日の朝、自分の内面のアイデンティティーは「僕」なんだという自覚と共に目覚めました。その契機となるコーチングのセッションを受けてから、三日目のことでした。

コーチングを受け始めてから四年目。その間、常に自分の中で蓋を開けないようにしている箱のようなものがあると感じていました。自分の宇宙の中心にあるその箱の中身は予想がつかないものの、周りにある余計なものが徐々に排除され、少しずつ確実に箱に近づいていく内面の旅。周辺の余剰がなくなったとき、先に進むために箱を開ける以外の選択肢がなくなりました。

ずっと喪に服しているような感覚があったのですが、一体誰のために何を弔っているのか。追悼しているのは自分の死のような気がするというような話をコーチングの先生としたものの、何故自分が死ななければならないのかは判らずじまいでセッションを終えました。

その三日後。感覚的には朝目覚めたら、という感じが一番ぴったりするのですが、実際はある晴れた午後に湖辺を散歩している時でした。ふっと頭の中に「私」ではなくて「僕」なんだという考えが浮かんだのは。とてもすっきりし、晴れやかな気持ちになりました。自分探しの旅も、大きな一山を越えたとも思いました。

自分の死を悼んでいる。39年間、僕としては生きてこなかったのだから当然のことです。同時に、今まで日常レベルで感じていた違和感やちょっとした困難に得心しました。たとえば学生時代に女子生徒に囲まれていた時は、自分はどう足掻いてもこの子達みたいにはなれない絶望感のようなものがありました。今だったら発想を転換して、両手に花の状況としてもっと楽しめます。

斯くして人生の再出発。心理学者のユングは自分らしく生きるのが人生後半生の課題と捉えていましたが、まさにそのタイミングだと思います。これから僕が僕として自分の足で歩いていく考えや過程を記していきたいと思っています。