僕の女子転生日記

そこそこの美人で中身バリバリ男子な僕の世渡り日記

山本周五郎の「菊千代抄」

今回は山本周五郎の短編のおすすめです。大好きな作家の沢木耕太郎さんが編まれた短編のアンソロジー「おたふく」に収録されているものを読みました。

この物語の主人公は菊千代。武家の女性なのですが、訳あって男性として育てられました。初潮とともに自分が女性だと知った彼女が、自分のアイデンティティや生き方を模索する話です。解説に沢木さんが「男装の姫君を描きながら、それを読者サービスのエロティシズムとしてではなく、現代の用語を使えば『性同一性障害』に近い、ひとりの女性のアイデンティティーの危機の物語として提出した。」と書かれている以上に的確な評はないと感じます。

あえて付言するならば、この物語を廻しているのは誰なのかということ。解釈は読み手の数だけありますが、個人的には菊千代の幼馴染の半三郎だと思います。半三郎との相撲、彼が同行した馬での遠出、菊千代が半三郎を短刀で刺す事件、そして月日を経て偽名を名乗る半三郎との再会。物語が展開する要所には常に半三郎の存在があります。

半三郎はこの物語にとってどうして斯くも不可欠な存在なのか。それは、彼が裏切っている回数が最も多いからだと思います。菊千代さえも知らない彼女の秘密を知っていること。それを誰にも気取られていないこと。一度は死んだと思われていること。再び菊千代の前に現れるときは浪人のふりをしていること。裏切りが物語には不可欠で、裏切りの回数が多ければ大きいほどストーリーが面白くなると「ハムレット」を例に出して論じたのは、確かポーランド映画の巨匠アンジェイ・ワイダですが、この短編小説は菊千代と同等かそれ以上に半三郎という人物を必要としています。

現実世界で裏切られるのはまったく面白くないですが、物語世界では乙なものです。君もこの作品を読んで、心地よく裏切られてみませんか?